あぁ 無常~
高校時代は「古文」は大の苦手科目。
っと言うより、受験科目以外は勉強せずに”内職”ばかりしてた私、、、。
興味も無かった源氏物語や徒然草などの古典文学。
最近は現代語訳や解説付きの親切な本が沢山あるし、
ハードルが低くなって 私でも読んでみようという気にさせてくれる。
これも年齢のせいかとも思うけど。
兼好が折々に心に浮かんだ思いなどを記した『徒然草』は
物の見方、判断の仕方などなど、、
、
具体的な事柄の形をとって分かりやすく人に訴えかける随筆です。
生きる上での大切なこと、教訓など
”今”を生き抜く為の大切な知恵
が沢山ちりばめられてると言うのに、
人生も終盤にかかってから読んでみようとするなんて
なんて勿体ない。
早く読むべきだった~。
この本は、著者が自分の好きな部分を抜粋して
テーマごとにまとめ、解釈が付いてるのでとっても読みやすい本でした。
(上段に読み仮名付きの原文と下段に分かりやすい解説、口語訳)
「世は定めなきこそ いみじけれ」
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mamaさん ど〜も〜
『徒然草』(とねんそう・・もとい つれずれぐさ)は
本日、偶然に私もブログに掲載しましたよ〜
多くの人生訓が載ってますが
何事も経験しないと判らないですね〜
色々な見方がありますが
ただ、経験する前に
一度は名前だけでも覚えていて
良かったな〜とも思っています。
古文の恩師に感謝ですね〜
投稿: ビ〜グルズ | 2014年3月19日 (水) 20時32分
え~?ブログに?
奇遇ですねぇ。後でお邪魔します!
私は古文は(も)苦手でしたが、、、、
やっぱり 若い時に勉強はするもんですね
反省!
投稿: お気楽mama(yukiko) | 2014年3月20日 (木) 11時40分
キッドは、3月生まれで春の生まれだからか、春がとても大好きです。
そして、それは小学校6年生の時に中1の姉に勧められて、徒然草を読み、下記の一文を読んで、ますます強くなりました。
春の湧き立つような様を、とても簡潔で臨場感あふれる表現で書いています。
キッドの国語好き、古典好きは、このころから始まりました。
蜜柑の花のことが書いてあるのも、因島を褒められているようでうれしかった。
それだからか、蜜柑の花はキッドの想い人の花であります。
折節(をりふし)の移りかはるこそ、ものごとに哀(あはれ)なれ。
「もののあはれは秋こそまされ」と、人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今一きは心も浮きたつものは、春の気色(けしき)にこそあめれ。鳥の声などもことの外に春めきて、のどやかなる日影に、垣根の草もえいづるころより、やや春ふかく霞(かすみ)わたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、折しも雨風うちつづきて、心あわただしく散り過ぎぬ。青葉になり行くまで、よろづにただ心をのみぞ悩ます。花橘は名にこそおへれ、なほ、梅の匂ひにぞ、いにしへの事も立ちかへり恋しう思ひいでらるる。山吹の清げに、藤のおぼつかなきさましたる、すべて、思ひすてがたきこと多し。
季節の移り変わりというのは、何かにつけて趣のあるものだ。
「しみじみとした情緒は、何と言っても秋がまさっている」と、誰もが言うが、たしかにもっともだと思うものの、今一段と心が浮き立つのは、春のようすであるようだ。鳥の声などもことのほか春めいて、のどかな日の光に、垣根の草が萌え出すころから始まり、次第に春が深まっていき霞が一面にわたって、桜の花もだんだんと咲き出そうとする、ちょうどその折に雨や風が続いて、あわただしく散っていく。その後、青葉になっていくまで、いろいろと気ばかりもんでしまう。橘の花は昔から親しくした人を思い出させる花として有名だが、やはり私にとっては梅の香りによって、過去のこともその当時に立ち返って懐かしく思い出される。山吹が美しく、藤の花房がぼんやりとしたようす、それらすべてに私なりの思いがあり、感慨を断ち切ることができない。
投稿: 東風キッド | 2014年3月20日 (木) 17時12分
小学校6年生で読まれましたかー。
キッドさん。流石ですね
考えると 私など若い頃は季節の移ろいなども
暑い、寒いくらいしか感じることなく
頓着しないで過ごして来たように思います。
それでこんな デリカシーのないオバサンになったのかも
花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは。
・・・・・・・・・・
・・・・・・
よろづのことも、始め・終わりこそをかしけれ。
・・・・
・・・
すべて、月・花をが、さのみ目にて見るものかは。
・・・・・・・・・・
・・・・・・・・
の箇所です。
花は満開、月は満月がいいに決まってるが、
花がしおれても、月が望を過ぎて欠けても、そこには独自の美がある。
人間界の恋や行事でも、始めと終わりにこそ趣の深いところがある。
と説いてるのが 心に沁みました。
無常だと観ずる心があって初めて理解できることですね。
いやいや やっぱり還暦になり既に”花の盛り”を過ぎてるからこそ
この段が心に残ったのかもね。
投稿: お気楽mama(yukiko) | 2014年3月21日 (金) 09時09分