神も仏もありませぬ
<図書館で借りた本>
佐野洋子 著
『神も仏もありませぬ』
60歳を過ぎて気付いたことや感じたことを素直に綴ったエッセイ。
人生をちらっと振り返って・・・
『あっと言う間だったようだし、
もううんざり 勘弁して。短かったような長かったような、、、、
今日まで十分だったように思え、今日死んでもちょうど良いと毎日思った。』
って言ったり。。。。
『春のきざしの蕗のトウを探しに行って感動して集めて、佃煮にして食べた時、
名前も知らない小さな可愛い花を見いってる時・・・・・
深くしみじみ幸せだなぁ。こんな幸せ生まれてはじめてだなぁ
いつ死んでも良いけど、今日じゃなくてもいいなぁ。
意味なく生きても人は幸せなのだ。ありがたいことだ。』
などと言ったり。
自分の老いを感じ始めて 実感した、驚きと戸惑いがたくさん綴られてます。
私自身は60歳を超えたけど、、、いつまでもオロオロするし、惑ってるし、
いくつになっても大人になったなぁ。などと思うことも無く。
外見は立派な(?)オバサンだろうけど、、、
老年と言うには早すぎるし、
まだ 若干の色気(??無いかも・・・)も残ってる
中途半端な年齢になったと思いつつ、、、
やっぱり
「死ぬなんて まだまだとんでもないよ。」と、怯えていたりする。
洋子さんの文章は、そんな私に
「誰だってそうなんじゃないの? そんなの当たり前」
と笑い飛ばしてくれる気がする。
誰だって、10代の頃は60代の自分なんて想像できるわけないし
思春期も結婚も子育ても介護も、、、
みな想像とは違ったし、、、
体験を重ねても ますます分からなくなるし、、、
未知なる老年期に不安になって足がすくむけど
誰もが その年齢に達して、はじめてその年齢の自分と出会って、
折り合いをつけながら生きていくんだよね。
その時、その時を楽しめれば幸せだ~。
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コメント
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幸せと言う言葉ほど、曖昧なものは無く、姿かたちは想像でしかないことに気付いたのは、50代になってでしょうか・・・。
富や地位や社会からや人からの評価などが、幸せの尺度であり、人生の生きてきた価値
の大きな要素になるんだ!・・・と大きな勘違いをしながら、物心ついてからの50年間を一喜一憂して生きてきたという事です。
今の年齢になって初めて、花を育てたり野菜を育てたりして得られる安らぎが、人としての本当の幸せの意味なんだと気づきさえすれば、歳を経ていく価値や意味が分かるように思います。
自然に触れ、音楽や絵画などの芸術に触れて得られる感動は、若い時には感じることの出来なかった感覚です。
私は、今の年齢から煙に消えるまでの十年二十年が、人として生きる喜びを感じる期間なんだろうなあと感じています。
若さと言うものは素晴らしいものですが、歳を重ねるという事もとても素晴らしいものなんだと、今は感じています。
投稿: 歌姫 | 2015年5月29日 (金) 21時25分
「幸せ」
私も若い頃には考えたこともありませんでした。
人それぞれ「幸せ」の尺度は違うと思うけど
「幸せ」はある。ということです。
歳を経て来て分かることは
何でもない平凡な日常の中にも
人から見えてる「形」ではなく、自分の心が感じることなんですもんね。
今は、この人生の「白秋」時代を
感動や、喜びや、ついこぼれる微笑みや、充実感。
その他 全身で感じる ありとあらゆる心地よさを大切にし
感謝して暮らせればと思ってます。
歳をとるのも悪くない。
私もそう思いますよ
投稿: お気楽mama(yukiko) | 2015年5月30日 (土) 10時25分
mamaさん ど〜も^
私は外的条件に限ると
戦争や飢餓のない日本にいるだけで
幸せだと思う様にしています。
運不運もありますが
各種選択の自由もあり
後は自分の心の問題だけです。
心の問題は
正しく世の中を見ること(客観性を持つ)ができるかが一番大切です。
幸せな日本に住んでいるのに
自分の考えた事、聞いた事はいつも全て正しいと信じると
周囲とのトラブルが多くなり、幸福感は薄れます。
引きこもりの時期(自分だけの世界)も大切ですが
良い意味で「自分をあきらめる=執着を捨てる」事が
一番大切ですね〜
以上の事は自分が健康状態の時にこそ
他人に言えますが
病苦の状態でも最後は
「感謝」と「あきらめ」が楽になる方法だと思います。
自宅で延命治療をしなかった方の最後は
自然の良い顔だと思います。
一人では幸せな最後が迎えられません。
投稿: ビ〜グルズ | 2015年5月30日 (土) 15時27分
>自分の考えた事、聞いた事はいつも全て正しいと信じると
周囲とのトラブルが多くなり、幸福感は薄れます。
60歳代は
孔子の論語で言うところの
『従耳 = 耳に従う(人の言葉を素直に聞く)』
だそうですね。
人の言うことを 逆らわず素直に聴けるようになった。
と言う意味でしょうか。
人の言葉は助言であっても なかなか素直に聞けないものです。
人の言葉を言葉の意味のままに理解するのは意外に難しいもの。
あの孔子にして60歳になってようやく、その境地に到達したと語っています。
我々もその年代。
「耳に従う」ことをしなければね。
謙虚になって、
投稿: お気楽mama(yukiko) | 2015年5月30日 (土) 17時32分
そうですね〜
「青年よ大志を抱け!」の
思い込み時期も大切ですが
一定の時期を過ぎれば
良い意味で流される(=流す)事ですね〜
儒教(孔子)で正しい?出世競争に疲れたら
道の世界(道教)を説く
老子(流れる事、水の如し=如水)や
荘子(混沌や無為自然の内で
やむを得ず行う事)の
世界も良いですよ〜!
投稿: ビ〜グルズ | 2015年5月30日 (土) 17時49分
「温故知新」 大切ですね~
投稿: お気楽mama(yukiko) | 2015年5月31日 (日) 08時54分