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2015年9月10日 (木)

一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い

図書館で借りた本>

篠田桃紅 著

『一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』

水墨の抽象画というジャンルを確立し、
世界的な評価を得た美術家の篠田桃紅さんのエッセイ本。

百歳を超える人はどのように考え、どんな風に暮らしてるのか
興味シンシンで読んでみた。

人生の大先輩で、尊敬できるようなかっこいい生き方をされている人の言葉は
含蓄があり、
分かっているようなこともあったけど、改めて気付かされる言葉も多かった。

本の最初に・・・

 

「私には死生観がありません
 これまで私は、長寿を願ったことはありませんでした。
死を意識して生きたこともありません。淡々と生きてきました。

 今でも、死ぬ時はこうしよう、死ぬまでにこういうことはしておきたい、などなに一つ考えていません。いつ死んでもいい、そう思ったこともありません。
なにも一切思っていません。」

とありました。
女性がまだ一人で仕事をして生きるのが難しかった時代に、
未婚で仕事をして生きて来た人はやはり強い!

大事なのは、、、
ありのままを受け入れること、

自然の一部として生まれてきただけ、と思えば気負いがなくなるし
運命の前では、いかなる人も無力なんだ、って説かれてます。

103歳まで生きた人だからこそ言える言葉なのかもしれません。

 

これを読んだ日、友人のご主人の病気のことを知りました。

病気の兆候が全くと言ってよいほど無かったご主人が
ここ2週間余りのうちに見る見る急変し、検査した結果がこれでは、、、、
悲しすぎて かける言葉も見つかりません。

「ありのままを受け入れる」のは難しいことです。

20150910a1

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コメント

mamaさん ど〜も^

私も先週、同じ本を書店の「敬老の日」コーナーで見つけて
「落ち着いた部屋」で読んでいます。
還暦を過ぎると先人である大先輩の意見や経験を
聞いてみたくなります。
自分の予習や復習でしょうか・・・
文字も大きく、文章も簡潔で解りやすいですね〜

今に生きる事が大切ですね・・・

★ビ~グルズさんへ★

こんにちは~

簡潔でサクサク読める本ですよね。

『夢中になれるものがあれば人は生きていて救われる。』

頷きました~

 ”私には死生観がありません これまで私は、長寿を願ったことはありませんでした。
死を意識して生きたこともありません。淡々と生きてきました。”

 人は、常に矛盾を内包している存在です。死生観は、民族、宗教、哲学、思想によって様々なので、ひとくくりにはできませんが・・・、あえて言うならば、死というフィルターを通して、生というものを考えること・・という事になります。輪廻転生が根底にあるアジア人、復活して審判を受けるキリスト教徒、生の期間の行いの良し悪しで死後の世界の行くところが変わる仏教徒(キリスト教徒も、審判の後そうなりますが・・)、死後の国(根の国)に必ず行く、日本の古神道(神仏習合後は、高天原=天国で根の国=地獄に近いイメージです)、日本は、世界一の自殺国ですが、その根底には、中世から現代まで続く無常という死生観が大きく影響しています。

そのような、ひとくくりの死生観を持っていないと、この筆者は言いたかったのではないでしょうか。

 ”長寿を願ったことも、死を意識することも無く、淡々と生きる。”
これこそが、筆者の死生観といえますから、死生観というもの(概念をもった)が無いという、自己矛盾がそこにあります。


 しかし、”自然の一部として生まれてきただけ、と思えば気負いがなくなるし運命の前では、いかなる人も無力なんだ”という筆者の信条こそ、立派な死生観であり、「ほんとうに・・」と頷くところの多い言葉だと思います。

 春に芽吹き、秋に落葉する・・・流れる雲のように・・・自然と共に生きることの喜びは、生物としての人間の本能の喜びでしょう。たとえ、それが洪水や地震などの自然災害を被ったとしても、あくまでも自然のままですから。洪水が起こった土地は、肥沃になり次の豊作を約束してくれるでしょう。木々や草花が死滅していれば、その土地を離れ、新たな大地を見つけることが出来るでしょう。

 しかし、100円玉の裏側には、社会を構成する人間の一人として、固い木枠にはめられた世界があります。私達は、全ての物を縛り、全ての物に縛られ、互いに干渉し合って生きています。自分達が作り出したものが被災するから、そこに復興の必要が生まれ、土地を捨てることもままならず、あるいは事件を起こし、あるいは事件に巻き込まれ、傷つけ傷つき、哀しみや苦しみを多く抱えながら、顔に笑みを要求されて生きていかねばなりません。

 進化して発達している生命は、社会という仕組みを拵えていくと言います。しかし、その社会は苦しみや憎悪や悲しみに満ち満ちており、先述した自然に生きる本能の喜びとは、遠くかけ離れたものです。

 そんな世界(社会)だからこそ、たとえわずかでも、その本能の喜びを手にして、人間社会に生きていく事が必要なのでしょう。
筆者は、全くの自然体でそれを体現してきたからこそ、このような本を書くことが出来たのでしょう。

 筆者の言葉が素直に受け止められているママさんは、逆の意味で言えば、この世の哀しみや苦しみも、理解しておられるという事になるのでしょう。
もちろん、自然に生きるという、人間の本能の喜びも感じられるのでしょう。

 自分たちが産み出した人間社会で、自分たちが産み出した悲しみや苦しみに、もだえ苦しむ人間とは、一体どのような存在なのでしょう・・・。
そんなことも考えさせる、心に楽しい記事でした。

★歌姫さんへ★

>筆者の言葉が素直に受け止められているママさんは、逆の意味で言えば、この世の哀しみや苦しみも、理解しておられるという事になるのでしょう。
もちろん、自然に生きるという、人間の本能の喜びも感じられるのでしょう

かいかぶりです。

辛いことや、どうにもならない悲しい事があっても
涙を流し、おろおろすること しか出来ない
情けない人間ですよー。


ただ、
その年齢にならないと見えないもの(こと)がある。
ってことは 少し分かる様になりました。

歳をとるのも悪くないですね。


生かされて、生きる。

運命は神のみぞ知るですから。

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