啓蟄
暖かい一日でした。
今日は、二十四節季でいうところの「啓蟄」です。
大地が暖まり冬眠していた虫が、春の訪れを感じ、穴から出てくる頃
とのこと。
まだまだ寒い日もあるでしょうが 一雨ごとに暖かくなるでしょう。
お花見の計画もたてなければ。
我が家の猫の額を見ると、、、
チューリップの葉っぱが元気よく育ってきたし
枯れ枝のようだった紫陽花も芽をふいてきました。
しな~っと溶けたようになってた鉢の寄せ植えも いつの間にか復活して花が・・・。
春よ~~遠き春よ~~ いやいや すぐそこまで来てます
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コメント
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今年の二月や三月初めの暖かさなら、新旧の暦を問わず虫が這い出てくるでしょうね。
啓は啓蒙の啓で、開くという意味で、なんとなくフンフンと納得できそうです。
蟄は執拗にとか執念の執に虫です。執はとらわれるとか掴んで離さない、こだわるなどと言う意味なので、虫が頑なに穴に入って動こうとしないという事なのでしょう。そういう状態を啓蒙してあげる、開いてあげるということで、穴から這い出てくることに成るのでしょう。これも、なんとなく理解できます。
理解できないのが、執という字です。幸せと丸いという字でできているのに、意味としては、あまり良くないそぐわない字ですよね。この字は、甲骨文字で言うと幸という字は手かせのことで、丸という字は人がひざまづいて手を差し出している格好なのだそうです。
人が正座して手かせをはめられている姿は、確かに囚われている姿です。それも分かる気がするのですが、手かせという字がなぜ幸せを表すようになったのでしょうか?
・・・・・人は、幸せを得ようとすると(幸せな状態にいようとすると)、手かせをはめられた状態になるという意味なのでしょうか?
幸せは、厳密に言うと、人それぞれに基準が違うと思います。しかし、幸せという言葉を使う時には、個人の幸せが一番最後に来るのではないでしょうか?
国民の幸せ、県民の幸せ、市民の幸せ、町民の幸せ、家族の幸せ、夫婦の幸せ、私の幸せ・・・そうやって考えたら、幸せというものは、自分を一番最後において、自分以外の人の幸せを先に考えるようになっているのでしょうか?それが、結局自分を自由にできない、自分以外の者に囚われてしまうという、手かせの状態になると言う事なのでしょうか・・・
毎年、二十四節気の「啓蟄」のころ・・・春の始まりの頃・・・暖かなそよ風、芳しい香り・・・等幸せな気分に満ち溢れるのですが、蟄の執、執の幸という字で、ふと幸せって何なのかなあ?・・・そんなことを考えたりします。
投稿: 歌姫 | 2016年3月 8日 (火) 10時28分
★歌姫さんへ★
”執”って字が?
甲骨文字で・・・
歌姫さんは何でもよくご存じですねぇ。
漢字をバラバラにして成り立ちや、意味を考えるのも面白いかも。
歌姫さんは探求心がおありだから 研究なさってはいかがですか?
私など、”春”に近づくだけで(寒いのは苦手なので)
ただただ ウキウキしております。
投稿: お気楽mama(yukiko) | 2016年3月 8日 (火) 14時58分